2016年12月7日水曜日

イザベル・ボワノ 人気ドラマのレシピ動画連載中です!

Arte(アルテ)というフランス・ドイツの共同出資で運営されているテレビ局があります。そのウェブサイトで、イザベルが動画を連載しています!

連載名はFOOD PORN(フード・ポルノ)。訳せば飯テロってところでしょうか。

ウェブページはこちら

内容は、人気のドラマシリーズ(XファイルやSex And The Cityなど)の劇中で、主人公たちが食べたり作ったりする料理のレシピを再現するというもの。

イザベルのブラックユーモアの効いたイラストが楽しめますよ!

このグラッパは何のドラマの誰が飲むのでしょうか?

毎週更新されるこの連載。ぜひチェックしてみてくださいね!(フランス語とドイツ語のバージョンがあります)

2016年11月22日火曜日

イザベル・ボワノ、&Premiumにて新連載開始です!

イザベルの新連載「イザベル ボワノのパリいろいろ図鑑」がマガジンハウスさんの雑誌&Premiumで始まりました!
&Premiumは私もイザベルも大好きな雑誌で、連載できることを夢見ていました。なので喜びもひとしお。毎月イザベルがパリで見つけたお気に入りを紹介していきますので、ぜひぜひ読んでくださいね。

こちらが記念すべき1月号です。
本当に素敵な雑誌です。




イザベルの連載第1回めのテーマはヘアスタイル。
イザベルは人の髪型を見て何区に住んでいるかを想像するのが大好きだそうです。


2016年11月2日水曜日

映画 「はちみつ色のユン」を観て

BD(バンド・デシネ)について、以前このブログで少し触れたのですが、今回は昨年読んでとても良かったBD「はちみつ色のユン」(ユング作 DU BOOKS刊行)について書こうと思います。

この本を日本語翻訳された鵜野さんと、L'Institut Tokyoで定期的に活動しているBD研究会でお知り合いになり、作品のテーマも以前から興味のあった韓国人の海外養子縁組ということで発売後すぐに読み、映画版もぜひ観たいと思いながらも機会に恵まれずいました。(第17回メディア芸術祭にて大賞を受賞した作品にも関わらず、DVDなどがリリースされていないのです。)

今回法政大学国際文化学部オープンセミナーとして上映会と学際トークが開催されるというのを幸いに、やっと映画を観ることが出来ました。

映画版は、アニメーションと実写パートが織り交ぜられ、(ハイブリッドアニメーションと銘打たれている)韓国の養子縁組政策についてもよりわかりやすく説明され、アニメーション部分で語られるユンの心情描写や幼年期~青年期までの個人的なストーリーと、大人になったユング氏が実際韓国を訪れ、自身のルーツを求める姿を追う実写ドキュメンタリー部分が自然に交錯していました。

「ディアスポラ」(離散、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族のこと)という重いテーマにも関わらず、ユング氏のユーモアあふれる表現で、暗くなり過ぎずに時には会場に爆笑が起こっていました。個人的には、2人の息子を持つ母としての視点で観てしまい、ハンカチが手放せないほど涙を流していました。(近くにユング氏もいらっしゃったので泣かないように頑張っていたのですが駄目でした。)

ユン少年は5歳のときに母国で孤児となり、集団養子縁組の形でベルギー人の養父母に託されました。幼少期は比較的うまく順応していきますが、自身のアイデンティティを模索し始める思春期に入ると、自分の出自に対して様々な疑問や葛藤を持つことになります。その苦しみはどれほどのものだったのでしょうか。私には想像もできません。

また、子を手放すことになった実母を取り巻いていた当時の韓国の社会背景(朝鮮戦争後の貧困、未婚の母に対する偏見など)や、自分と目の色も髪の色も全く違う、訪れたこともない国から来た小さな子供を育て、その子が後に自分のルーツについて深く思い悩み、もがき苦しむ姿を見ることになった養母の心情を思うと、今自分が母親として我が子たちに自然に、必然的に関われているということがいかに幸せなことなのだろうと考えました。

会の終わりにユングさんからサインをいただきました。

さらさらっと筆ペンで描いていただきました!ユンのイラストが可愛いです。


少しだけお話もさせていただいたのですがさまざまな葛藤を抱え、乗り越えてきたユングさんは、それを感じさせない飄々とした雰囲気をお持ちでした。絵を描き、想像の世界に没頭することが救いだったという氏。この素晴らしい才能は実の家族からの最大の贈り物だったのではないかと思います。

皆さんも機会があればぜひ観てみてください。(BDも絶賛発売中ですよ~)



2016年10月27日木曜日

わたしのパートナー

久々の更新です!

心の余裕がなくバタバタしている間に時は過ぎ…。ブログを放置してしまいました。これからもゆっくりですが更新していきますので、よろしくお願いします。

さて、今日は私がフランス語を習い始めてから20年以上にわたってずっと使用している辞書について書きたいと思います。

表紙や、パリの地図などの部分が取れてしまって悲しいです。

20年間一緒に歩んできた辞書は夫よりも親よりも長く一緒に暮らしています。

大学に入学して仏和辞典、和仏辞典、仏仏辞典などを買いそろえたわけですが、クラス担任の教授によっておすすめが違いました。我がクラスの担任から勧められて何も考えず購入したのが「ロワイヤル仏和中辞典」(旺文社)でした。



この辞書、フランス語初心者にはかなり無理のある辞書で、文法についての親切な注釈などは全くなく、初めは使うのに苦戦しました。しかし学習を進めていき、フランス語への理解が深まるにつれて、この辞書にしてよかったとずっと学習のよりどころとなってくれました。

まずイディオムの掲載量がとても多いこと、また、頻出単語についてはその用例が多く掲載されていてとてもわかりやすいです。分厚くて重たいですが、これが1冊あれば専門的な技術翻訳などをするのでない限りはたいていの書籍や新聞記事などの読解に対応できると思います。

現在は第2版が出ているようです。
価格も6000円オーバーですがその価値はあると思います。

私のものは長年の使用に耐えられず、表紙が取れてボロボロになってしまいましたが、長年連れ添った古女房のように愛着があり、新しい辞典を使う気になりません。他にも仏和は持っているのですが、いつもこればかり引いてしまいます。辞書にも個性があるというか性格があるというか。

表紙を修理できれば良いのだけれど…。もうそろそろ分解してしまいそうで怖いです。



2016年9月24日土曜日

MonoPrixのエコバッグ

  念願かなってパリへの旅行に行ったとします。美しい建築を見て、おしゃれなお店でお買い物をして、街角のカフェで休憩し、おいしいレストランで食事をする…。ああ、楽しいな~、とばかり言っていられないのが日本人。何か周りの人たちへのお土産を調達しなくてはなりません。

 そんな時、気の置けない友人にちょっとした物を渡したいのであればぜひこちらをどうぞ。

 Monoprix のエコバッグ





 Monoprixは言わずと知れたフランスの大手スーパーマーケットチェーン。パリの街にも何店舗もあります。日本で言ったらイオンとかイトーヨーカドーとか(もうちょっと高級かな?)。衣料品から食料品まで、自社ブランドの商品も豊富に取りそろえています。

 4年前にパリに滞在した時に、友人に教えてもらいこのエコバッグをお土産に買って行ったのですが大好評。私も普段から使っています。(洗濯すると表面のロゴが取れてきますが気にしない)ナイロン地なので軽く、でも丈夫で何年も使えます。

 
 スタンダードな無地バージョンと季節ごとに変わるモチーフバージョンがあります。私もいろいろな人からお土産にもらったりして何種類も持っています。収納するポシェットがついているのも良いです。

 最近値上げしたらしくもとはたったの1ユーロでしたが今は1.5ユーロらしい。それでもとってもお安いですね。日本でネット通販で買うと1,000円くらいしてたりして驚きました。

 パリでお土産に悩んだらこちらはいかがでしょうか~、というお話でした。


 

2016年9月15日木曜日

もみじ市2016にイザベルグッズが登場!

 手紙社さんが毎年秋に開催するすてきイヴェントもみじ市2016 Flowerが9月17日㈯18日㈰に調布の多摩川河川敷で行われます。



http://momijiichi.com/2016/#wrap



 このイヴェントで、イザベルと手紙社さんのコラボ商品が販売されますのでお知らせです。

右のレモン柄とキッチンツール柄がイザベルのレターセットです。かわいいですよ~💛


 商品は写真のレターセットの他に、ブックカバーにしたり、ラッピングに使ったりできるB4ペーパーが2種類、クリアファイル、メモパッドです。

 
 どれもとっても可愛くて全部集めたくなってしまいます。自分で使っても良し、プレゼントにしても喜ばれそう。

 
 これらのイザベルグッズは手紙舎2nd Storyさんのスタンドで販売されます。ぜひぜひよろしくお願いいたします!


 私も以前遊びに行ったことがありますが、おされスタンドが多摩川河川敷にずらっと並び、おいしいフードやコンサートも楽しめ、文化系女子(男子も!)にはたまらないイベントです。


 (このもみじ市と東京蚤の市の開催日は普段の京王多摩川の駅とは雰囲気がガラッと変わります(笑)おされピーポーだらけ。)

 
 この週末、ぜひ遊びにいらしてはいかがでしょうか。







2016年9月13日火曜日

Quotidien VS Le Petit Journal

 先日司会者交代後初めての放送について書いたLe Petit Journal(ル・プティ・ジュルナル)。

 その前任の司会者Yann Barthès(ヤン・バルテス)氏が、Cannal Plus からTF1, TMCにテレビ局を移籍して新番組を始めました。その名もQuotidien(クォティディエン)。初回が昨日9月12日(月)に放送されました。


ヤン・バルテス氏


 この新番組、実はバルテス氏が旧Le Petit Journalの制作スタッフ、主要キャスト、番組の形態まですべて根こそぎ持ってきてしまっているのです。というのも、バルテス氏はLe Petit Journal を12年間作ってきた張本人なので(制作会社も経営していた)、彼としてはそのノウハウや人材を持って移ることは当然ということなのでしょう。日本で言うならば小倉さんの「とくだね!」をフジテレビからTBSにそのまま持って行ってタイトルだけ変えたイメージです。

 普通だと、そこでLe Petit Journalは終わって新番組を作るのが自然な気がしますが、何があったのかそのままLe Petit Journalのタイトルを残し、司会者が交代したという体で番組を残したCanal Plus。シリル・エルダン氏の司会で1週間放送しましたが、その評判は悪く、新聞や雑誌に辛辣な批評記事が書かれまくっています。何より、旧P Jファンからすると、タイトルだけで全く別の番組になってしまったので、もう観なくなってしまったという人もかなり多いようです。

 確かに、観ていていろいろと気になる部分もありますが、始まったばかりだというのに、厳しい意見ばかりで、少し同情してしまいます。

 一方、TF1、TMCが番組開始前から猛烈な番宣をし、鳴り物入りで始まった新番組Quotidien。こちらは一部キャストが変わったものの、ほぼ旧PJと同じ内容、同じスタイル。やはりバルテス氏の人気は根強いですね。昨日の初回が終わってメディアは大方新番組側の勝利という風に報じています。

 私の中で一番面白かったのは、天気予報のコーナー。大体のニュース番組ではセクシーなお天気お姉さんたちが天気を読むのですが、バルテス氏はお天気お姉さんを置かず、なんとその場でくじ引きをして、観客の中でくじに当たった人に天気予報をさせていました。
 昨日当たったのは初老のご婦人。カメラの前でぎこちなく、自信なさげにお天気お母さんを務めていました。


ちょっと緊張しながらの天気予報。可愛らしかったです!


 やはり私もQuotidien派。毎日の楽しみが増えました。




2016年9月12日月曜日

イザベル・ボワノの映像作品 その2

 前回に続きましてイザベル・ボワノの映像作品その2をお送りいたします~。

 今回は彼女の「食」にまつわる作品2本です。





「日本りょうり!」 
日本に来ると、おいしいものをたくさん食べているイザベル。日本の友人たちと食卓を囲む「ともだちディナー」は来日時恒例行事となっています。日本での食の思い出が詰まったこの作品。私もちらっと出ています。
鉄板焼きやお好み焼きを調理するコテさばき、屋台の食べ物を作る人の無駄のない手の動き、そして和菓子を作る職人さんの美しい手さばき・・・。イザベルが食べ物だけでなく、それを作り出す人々の手に焦点を当てているのがわかります。


「Confiture de framboises ラズベリージャム」
そしてこちら!昨年日本でも翻訳出版された「Mes recettes pour le gouter わたしのおやつレシピ」にも掲載されているレシピ、ラズベリージャムの作り方をイザベル自ら実演しています。舞台は彼女の実家の庭。愛犬ヤマちゃんも出ています!イザベル自身が出ている作品は少ないのでイザベルファンは必見ですよ!
レシピブックをお持ちの方は、手順を照らし合わせてみても良いと思います。


こうやってまとめてみると、映像作品の中でもバリエーションがあるなぁと再発見しました。これからどんな作品を作っていくのか、エージェントの私も楽しみです。



2016年9月10日土曜日

イザベル・ボワノの映像作品 その1

 イザベル・ボワノというアーティストの特長は?と聞かれればその活動ジャンルの多彩さだと答えます。

 イラストはもちろん、コラージュや写真、映像、刺繍、手芸、料理にお菓子作り、ブロカント(アンティーク収集)などなど。様々なジャンルに才能を発揮しています。

 その中でも彼女の映像作品はあまり知られていないのですが、彼女しか作りえない独特の世界観があって面白いです。

 その中のいくつかをご紹介したいと思います。




夕方に自治体が流している夕焼け小焼けの音楽に郷愁を覚えるオブジェたちが姿を現しては消えていきます。なんとなく切ない気持ちになるのは私だけでしょうか?


Poster moderneのOKARIBAという曲のMVです。イザベルフリークの方たち、ヴォーカルの声に聞き覚えはありませんか?イザベルが日本の街で見つけた宝物がたくさん出てきますね。




そしてこちら。フランスの著名人80名が東日本大震災の際、日本に向けたメッセージを集めたプロジェクトに参加したイザベルの作品です。彼女の日本への愛が伝わってきます。じーん。

次回はちょっと雰囲気の違うものを紹介しますね!


2016年9月8日木曜日

クロワッサン派?パンオショコラ派?

 子供の頃はパンと言えば食パンやバターロール、メロンパンやカレーパンなどでした。
 
 小学生の頃、お呼ばれでホテルのレストランで食事をしたとき、初めて食べたすごく硬くて嚙みきれないようなパン。それが私のフランスのパンとの最初の出会いです。

 今やスーパーのパン売り場でもバゲットやらパン・ド・カンパーニュやらいろいろな種類のフランスパンが並べられ、普段の食卓にも度々あがるようになってきました。
 
 そして朝食やおやつには甘いお菓子パン、(フランス語でViennoiserie ヴィエノワズリ)を食べるのも一般的になってきましたよね。

 そのヴィエノワズリの中でも人気を二分するのがクロワッサンとパン・オ・ショコラではないでしょうか。

 クロワッサン(Croissant)はフランス語で三日月という意味で、その形状から名づけられたパンです。バターをふんだんに使って焼かれ、サクサクとしてほのかな甘みがあります。
お気に入りのゴントラン・シェリエのクロワッサン

 フランスでは朝食に食べることが多く、そのまま食べたり、カフェオレに浸けて(!)食べたりします。
  
 東京にもフランス産高級バターを使った、1個500円を超えるクロワッサンを売るお店が出来て、しかもこれがとてもよく売れているということで、日本人もクロワッサンは大好きなのですね。(雑誌の名前になるほどですものね。)

 そしてパン・オ・ショコラ(Pain au chocolat)。四角く成型したクロワッサン生地にチョコレートが2筋入っていて、フランスの定番おやつです。
こちらもゴントランのパン・オ・ショコラ。


 そのまま食べても美味しいけれど、少し温めて食べると中のチョコレートがとろっとして美味です。日本で売っているものよりフランスのものは大きくて、ひとつ食べれば相当腹持ちします。

 ひと昔前はチョコレートのパンと言えばチョココロネだったと思いますが、今ではこちらが主流になってきていますね。


 さてさてみなさんはクロワッサン派でしょうか、パン・オ・ショコラ派でしょうか?

 私は僅差でパン・オ・ショコラ派かな~。












  

2016年9月6日火曜日

Le Petit Journal

 フランスのTV番組もネットで観られるようになり、とても勉強になっています。

 私が大学生の頃には、映画を観るか、NHK BS2で朝放送していたFrance2のニュース番組(しかも編集されてトップニュース15分程度)ぐらいしかフランス語の映像教材はなかったのですから、今は夢のようです。まさにインターネットの普及が語学学習に革命をもたらしたと言ってよいでしょうね。

 France2の20時のニュースも観ますが、私がいちばん好きな番組はCanal Plus のLe Petit Journal(ル・プティ・ジュルナル)です。

 
 この番組、毎週月~金曜の夜8時半(フランス時間)から放送されている長寿番組で、主に政治問題を取り上げていています。政治・事件をただ報道するのではなく、たっぷりのユーモアと風刺を込めて視聴者に届けています。番組の特派員たちは国内に留まらず、海を越え世界中で今起きていることを自分たちの目で見て、問題の当事者に直接マイクを向けます。政治家の中にはこの番組のジャーナリストが来たら逃げ出す人、完全無視を決め込む人がいるほど、インタビューの内容は批判的で皮肉にあふれています。見ているこっちがひやひやするほどです。


 今年の6月まではYann Barthès (ヤン・バルテス)というジャーナリストが司会を務めていましたが、彼は別の番組に移籍し、そのあとをこの9月から俳優のCyrille Eldin(シリル・エルダン)が担当することになりました。

新司会者のエルダン氏



 彼が司会になって最初の番組が昨日(9月5日)に放送されました。 フランスではヴァカンス明けの9月が新年度、新学期の始まりとなっていて、バルテス氏がヴァカンス前に番組を降板し、エルダン氏が再開するまで丸々2か月番組もお休みでした。

 逸る気持ちを抑え、今朝早速観たのですがセットを含め番組の雰囲気はがらりと変わり、特派員も若い女子になってたりしてエルダン氏が番組を自分色に変えていこうという意志が感じられましたが、今回は初回だからか20分程度で終わってしまい、番組がどんな風になっていくのかはまだ明かされていない印象でした。

 バルテス氏時代はコントあり、ライブコンサートのコーナーありと、とても楽しめる番組だったので、今後に期待したいです。

 また番組が落ち着いてきたら感想を書こうと思います。


 


 

2016年9月5日月曜日

Oranginaオランジーナについて

  Orangina(オランジーナ)という飲み物。フランスを代表するオレンジ風味の炭酸飲料です。

 何年か前からかサントリーさんから発売され、一気にポピュラーになりましたね。近所のスーパーでもよく安売りされていたりして、もうフランスの飲み物というイメージはあまりないかもしれません。でも一昔前には原宿のオーバカナルなどのカフェで飲むか、有名輸入食材店でしか手に入らない、おフランス~な飲み物でした。

 コロコロッとした丸い形状の瓶に入ったオランジーナを振ってから飲むのはとても楽しくて美味しい時間です。日本発売のものもペットボトルが微妙に丸みを帯びた形になっていますよね。

 そしてオランジーナと言えばポスター。ブルーとオレンジを基調にした夏のヴァカンスの雰囲気を感じられるBernard  Villemotの作品です。

画像はこちらからお借りしました。

画像はこちらからお借りしました。

 また、サントリーさんのOrangina特別サイトも面白いです!

 「僕の先生は、フランス人。オランジーナ先生」というテーマで、オランジーナ先生のへんてこフランス語講座などの動画が見られます。
 
 そしてオランジーナを使ったオリジナルレシピも紹介していたりして。こうやってなんでも工夫して飲んだり食べたりしようというのは日本人の特長だな、と思います。フランス人はオランジーナに細工しようなんてこと、思わないと思う(勝手な想像ですがね)。

 オランジーナ先生役のサロメちゃんもとても可愛いですよ。美しいだけじゃなく芯が強いフランス女子の雰囲気が漂っています。
 
 気づけば季節はもう秋の入り口。今日はオランジーナを買いに行こうかな。

2016年9月2日金曜日

お詫び

 先日お勧めのテキストとしてご紹介させていただいた「基本表現別 フランス語コミュニケーションの方法  第三書房 (1995/03)」ですが、アマゾンで商品ページがあったので簡単に購入できるものかと思っていたら、ただ今品切れ中で入荷未定、しかもCD(カセットテープ)付きは大変入手困難になっているようです。
 容易に手に入らないものをご紹介してしまい申し訳ありませんでした!でもとても良い本ですので図書館などどこかで見つけられた方はぜひ読んでみてくださいませ。

2016年9月1日木曜日

イザベル・ボワノLes recettes de mes amis japonais『日本のともだちレシピ』

 以前にご紹介したイザベル・ボワノのレシピブックシリーズ、現在出版されている中で一番新しいのが 『日本のともだちレシピ』Les recettes de mes amis japonaisです。
 こちらはフランスのCambourakis社から出ていて、まだ日本では翻訳出版されていません。
 今回はこちらの内容をご紹介します。



 フランスの書店や日本の洋書店に行って、和食のレシピブックを探すと、天ぷらとかお寿司とか、典型的なハレの日のメニューを扱うものが多いですが、イザベルの『日本のともだちレシピ』は、そういうレシピブックとは一線を隔しています。

 イザベルが日本の友人たちに、普段作っている簡単で美味しい料理のレシピを教えてもらい、その手順を彼女の美しいイラストで表現しているのです。よってレシピの提供者は料理のプロではありません(プロ級の腕前の方もいらしゃいますが…)。ミュージシャンや職人さん、編集者さんなど、さまざまな職業を持つ友人たちのレシピなのです。


 コロッケや茶わん蒸し、肉じゃがなど、日本人がリアルに毎日食べている料理を紹介する本書はフランスの日本好きな人たちに大好評。Instagramなどでは、このレシピブックを見て作った料理の写真をアップしてくれていたりします。肩肘張らずにフランスで手に入る材料だけで作れる家庭の味。確かに反対バージョン(フランスのともだちレシピ)があったら嬉しいかも!!

 そして今までのイザベル・レシピシリーズと違うのは、各レシピの前に、そのレシピを提供してくれた友人の紹介文とポートレートが描かれていること!イザベルのポートレート、その人物への愛に溢れていて素敵なんです!

私のレシピも載ってます!料理上手さんの中で恥ずかしい!

 フランスにご旅行に行く際はぜひ本屋さんでチェックしてみてくださいね。



 

2016年8月30日火曜日

フランス語会話力をつけたい方におすすめのテキスト

 追記テキスト現在入手困難になっているようです。
 
 このブログを読んでくださっている方の中にフランス語を学ばれている方もいらっしゃるかもしれませんね。ブログの話題が食べ物のことばかりなので、今回はフランス語学習について書こうと思います。

 大学入学後、授業の大半はフランス語の科目となり、「総合フランス語」「フランス語会話」「フランス語文法」「フランス語リスニング」「商業フランス語」など、さまざまな先生とさまざまな教科書を使って学習しました。教科書の選定は先生方がするので、学生は指定された教科書を買って勉強するのですが、その中にも「当たり」と「ハズレ」があったように思います。

 その中で私が特に「当たり」だったと思う教科書をご紹介したいと思います。


  基本表現別 フランス語コミュニケーションの方法  第三書房 (1995/03)


画像はAmazonより

「あいさつ」「意見を述べる」「断る」などのコミュニケーション行為を100項目にまとめた便利な基本フレーズ集。ことば使いや用語のニュアンス、話す際の注意点について、生きた知識を満載。旅行、日常生活からビジネスまで、57の場面別ダイアローグ。ダイアローグ全訳と日本語索引を入れて、より使いやすくなった日本人学習者向け別冊つき。 (Amazonより引用)

 こちらのテキスト、フランスのDidier社から出版された"Guide pratique de la communication”という本の日本版です。CDとセットになっていて、さまざまなシチュエーションで「フランス人のように」会話するヒントがたくさん盛り込まれています。
 
 文法や読み書きはある程度身についたけれど、なかなかフランス人と話す機会もなく、会話力がつかないというお悩みを持っている方に、特にお勧めしたいです。

 私はこのテキストを読んでCDを聞いて、留学前に飛躍的に会話力がアップしました。

  言葉は生き物ですので日々変化・進化していきます。表現方法など、一部古くなっている部分もあるかもしれませんがそれをもっても余りある良い教本だと思います。

 

 ちなみに関係者ではありません(笑)

2016年8月22日月曜日

Surimi (シュリミ)のサンドイッチ

 日本食が世界的なブームになっていると言われて久しく、もはやSushiやTempuraは世界共通語になっているようですね。

 私が留学していた時代のアンジェという街には当時は中華はたくさんありましたが日本料理店は1軒もありませんでした。

 なのでどうしてもご飯が食べたくなると、寮のキッチンで、フランス人学生たちから好奇の目で見られながら日本から送ってもらった米を鍋で炊き、簡単なおかずを作って食べるしかありませんでした。

 そんななか、大学の構内に昼時にいつもサンドイッチやら菓子パンを売りに来るおじさんがいたのですが、そんな彼のスタンドにSandwich Surimiと手書きのメニューが貼ってあるのを発見しました。

 SURIMI・・・。聞き覚えあるこの言葉。すり身?いや、そんなはずは。日本料理店さえないこの街で、すり身なんて日本語が通じるなんてあり得ない!!きっとそんなアラブ系食材があるんだろう、はたまたこれはフランス語で勉強不足の自分が知らないだけなのか!!焦る自分を落ち着かせながら、私は事実を確かめるべく、おじさんの前にのろのろと歩み寄り、尋ねました.

“C'est quoi, ce Surimi?" 「このSurimiっていうのは何ですか?」
「スリミじゃなくてシュリミだよ、シュリミ。知らないのか?魚で出来たケーキみたいなもんだよ」
「えっ?じゃあ日本のものなんですね?わ~驚いた!」
「いや、シュリミはフランスのもんだと思うよ~。よくわからんが。」

 とにかく実際問題、これが何なのか。知りたくなった私はそのSandwich Surimiを買い、逸る気持ちを抑えて食べてみた。中から出てきたのはカニカマでした。

 確かにカニカマはすり身で出来ている。そうか、君は海を渡って、よりプリミティブな名前になって頑張っていたのだね。

これはスーパーの広告 もうフランスの食生活に欠かせない存在です。


 それからたびたびそのサンドイッチを食べるようになった私でした。


2016年8月19日金曜日

15分遅れがお約束 Le quart d'heure angevin

 ホームパーティーを開いたりします。そんなとき、「7時に来てね」とお願いしても、汚い部屋の掃除や手抜き料理に思ったよりも時間を取られ、7時ちょっと前に玄関のチャイムが鳴ったりすると、「ああ!こんなとき、Le quart d'heure angevin(ル キャールドゥール アンジュヴァン)があってくれたらな~」と思います。

 さて今回はこのLe quart d'heure angevinについて書きます。
 
 Angers(アンジェ)という都市は、フランスの西部の、メーヌ川とロワール川が合流するあたりに位置する中都市です。私は以前に書いたようにこの街で学生時代を送っていました。

パリからTGVで1時間半。落ち着いた雰囲気のとても良い街です。

 
 Parisの形容詞形はparisien(ne)(パリジャン・パリジェンヌ)であるように、Angersの形容詞はangevin(e)(アンジュヴァン・アンジュヴィヌ)といいます。

そしてLe quart d'heureは15分(4分の1時間)という意味、すなわち「アンジェの15分」ということです。

 アンジェで誰かの家にお呼ばれして時間ぴったりに行くと、いつも一番乗りだったり、招待した張本人に「えっ?もう来たの?」的な態度をとられ、「えっ?8時って言ったよね?時間間違っちゃった?」と聞くと、笑ってTu ne sais pas le quart d'heure angevin? 「アンジェの15分って知らないの?」と聞かれました。そしてアンジェではみんな約束の時間には15分は遅れてくるものだという意味だと教えてくれました。

 それってどうなの?って思いましたが確かにみんな平気な顔で15分20分と遅れてきます。

 そして男子たちには、「パーティーに一番のりで来るのは女の子は絶対しないほうがいいよ~」と言われました。モテ女は最後に来るものなのですって!!一番のりはガツガツしてる感じがしてかわいくないとのこと。

 はぁ~。
 そんなこと言ってないで時間守ろうぜ~と思っていた私ですが、留学を終えるころには15分どころではなく遅れて行くようになっていました。郷においては郷に従えってやつですかね。それともモテたかったのでしょうか?

 日本に帰って授業だ、バイトだと日常生活に戻った私はすぐに5分前行動に戻りましたけれども…。
  
 以上です、編集長!! (いない…)
 

 


 

2016年8月17日水曜日

キリンダイアリーについて

今年の4月に正式にイザベル・ボワノの日本エージェントとなり、最初のお仕事がEdition Girafeさんより本日発売になった雑誌「Kirin diary キリンダイアリー」の表紙イラストでした。

お写真はこちらからお借りしました



この雑誌は、某有名料理雑誌の元編集長であり、現在旗の台で日用品&ワイン喫茶Kirin Storeと、バル&ギャラリーSakana Airを経営されている田村さんが編集長を務める「現代社会のエアポケットを巡るエアポケットマガジン」です。

Kirin storeもSakana Airもとても素敵なお店、ワイン喫茶です!おしゃれだけどスノッブじゃない、地元の方が気軽に寄れるような場所を目指していらっしゃるとお聞きしました。お料理も美味しそうでお酒のメニューも豊富!近所だったら毎日でも通いたいです。お近くの方はぜひ遊びに行ってみてくださいね。


本日見本誌を送っていただき、早速読ませていただいたのですがキャッチフレーズの「エアポケットマガジン」というのがとてもしっくりきて街歩きでも表参道だ、銀座だというのではなく、地味だけど地元の方に愛されるしみじみと良いところを紹介されていて、本誌をガイドブック代わりに歩けば、きっと何か良い出会いがあると思える内容でした。オールカラーで写真もとても素敵です。


そんなすてきな雑誌の創刊号の表紙を担当させていただく幸運に恵まれ、またご報告いただいたところによると、読者の方もイザベルの表紙を気に入ってくださっているとのことで、私もイザベルも喜んでいるところです。


ぜひぜひ皆さんにも読んでいただきたい!!


キリンダイアリー vol.1 B5版中綴じ、オールカラー
定価400円+税

Kirin Store店頭、KIRIMUSウェブストアほか、直販書店、物販店等で好評販売中です。


2016年8月15日月曜日

仕事部屋が欲しい

 我が家は東京都下の賃貸アパートです。間取りは2LDK。そこに夫婦と息子2人の4人で住んでいます。

 1部屋は夫の仕事部屋として使い、もう1部屋は寝室。あとは大きなダイニングテーブルと小6の息子の勉強机をおいたリビング(ダイニング?)があるだけです。

 私の仕事場は、ダイニングテーブルの上。そこにラップトップパソコンを置き、使用中の資料や何やらは使っていない椅子の上に乗せて仕事をしています。毎日3歳の息子の世話をしながら仕事をしている私にとって、このスタイルは意外にフィットしています。自分の座っている席の対面に子供を座らせて遊ばせたりおやつを食べさせながら仕事ができるからです。

 とは言え、集中できないことも多く(大事な部分は子供たちが寝静まってから始める)もうそろそろ自分だけの仕事スペースが欲しいと思うようになってきました。

 今ではレンタルオフィスやオフィスシェアリングなどのサービスがあるようですが、予算的にも合わないしどんなもんかな~と。

  長男もそろそろ自室を欲しがっており、もうこの辺がこの間取りに住む限界なのかなと思うようになってきています。引っ越すしかないのかな~。

 鬼籍に入られたアーティストや小説家の方などの生前の仕事部屋が公開されることがありますよね。それを見ると、きちっと片付けられている仕事机の方もいれば、雑然としていて豪快なアトリエの方もいる。その人物の仕事に対する信念や情熱がにじみ出ていてかっこいいな~と思います。

 私はと言えば超雑然としていて、仕事と生活が混在しているスペースになっています。
 
 小さいお子さんがいる自宅勤務の方はみなさんどのようにされているのでしょう。
 暮らしと仕事の垣根が低い今の働き方は、子供が小さいうちの期間限定のものかもしれません。

 今は不便も多いですが、人生のひとつの醍醐味と思って、リビングでの仕事を頑張りたいと思います。
 そしていつか自分の仕事部屋を持てたら嬉しいです。

 

 

2016年8月10日水曜日

アンドレ・ルコント

 留学から帰り、超幸運なことに就職先もすぐに見つかった私は、残り半年の大学生活をバイトと日仏学院の授業で埋めていました。

 何かフランス関係のアルバイトをしたいと思っていた私は、当時青山ツインタワーにあった老舗フランス菓子店、『アンドレ・ルコント』のキッチンでパッケージの仕事をすることにしました。ツインタワーの地下にあるキッチンの横にパッケージルームがあり、焼きあがったお菓子を、そこで様々なケースや箱に詰めたり、セロハンで包んだりする仕事です。



写真はこちらからお借りしました

 その当時、ルコントは青山の他に銀座と日本橋の三越、新宿伊勢丹にも支店があり、毎日とても忙しかったのを覚えています。
 私の他に女の子が2人、朝出勤して昼休みを挟んで夕方まで、ひたすらお菓子を詰める日々。
パティシエの方たちが精魂込めて焼き上げたお菓子についた焦げを、すべて取り除き、割ったり潰したりしないよう丁寧に箱詰めしていきます。たまに新作の試食などさせてもらうのが嬉しくて。

 アンドレ・ルコント氏は1968年に、日本で初めてのフランス菓子専門店を始めた方で、パティシエの憧れ的、神的存在の方。私がアルバイトを始めた頃にはもう鬼籍に入られていましたが、氏の意志を受け継ぐ職人たちが、日々素晴らしいお菓子を作り出していました。

 それに比べ、フランス語を話せるぐらいで、手に職があるわけでもなく、何かを作り出せる創造性もない私。ならば、その作り上げたお菓子を、心を込めて美しくプレゼンテーションするのだ!と毎日同じルーティーン仕事の中でも頑張ろうと思っていました。

 その仕事は今の仕事にも通じるものがある気がします。自分から何かを発信する側ではなく、何かを発信する人と、受け取る人の間に立ち、そのコミュニケーションをより良いものにすること。それが自分の仕事だと思っているからです。

 ルコントは2010年に一度閉店しましたが、2013年広尾に再オープンしています。

 久々にあの味を味わいにいきたいな~。

2016年8月8日月曜日

Mon oncle わたしの叔父さん



『ぼくの伯父さん』というジャック・タチの映画がありますが、今回は『わたしの叔父さん』について書こうと思います。

 私が育った千葉ののどかな町には、本屋さんが何軒もありましたが、いわゆる街の本屋さんで、珍しい本などは置いていませんでした。今はAmazonや楽天など、ぽちっとするだけで欲しい本が手に入る時代ですが、当時はそんなはずもなく、私はもっぱら小学館から出ていたミニレディーシリーズ(同世代の方は懐かしいはず!)を買うのを楽しみにしている少女でした。

 そんな私と妹に、当時大学生だった叔父が、帰省する際、東京の八重洲ブックセンターで本を買ってきてくれました。地元の書店には売っていない、美しい装丁の絵本や読み物。叔父が帰ってくるのが楽しみだったのを覚えています。

 そのとき買ってもらった本を思い出して挙げてみます。


 ピーターラビットの絵本シリーズ

                                                           

これは言わずと知れたピーターさん(池畑でないほう)の物語です。3冊組になっていて小さな版で作られていました。可愛いうさぎの物語だと思って読むと、意外にも皮肉だったり意地悪な部分もあったりして、(機関車トーマスにも通じる)子供だった私は「イギリスってあんまりいい国ではなさそうだな」(今は好きですが笑)という感想を持ったのを覚えています。以前会社勤めをしていた時に、イギリスの湖水地方(ピーターラビットのふるさと)にある会社の方にお会いしたことがあったのですが、「ああ、ピーターさん(池畑でないほう)の地元の方か~!」とすごく感動しました。

 つきのぼうや


 こちらも名作、つきのぼうやです。なんと言ってもこの本の形に、驚きました。長細いのですから。
ストーリーは空想の世界で、「そんなわけあるかいっ!」と突っ込みながら読んでいましたが、なぜかまた読みたくなる中毒性のあるものだったと思います。なんといっても、自分の本棚に入らなかったのを覚えています。でもこの判型のおかげで記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。長細い本、ということで。

ハイジ
画像はこちらからお借りしました
こちらは福音館古典童話シリーズの『ハイジ』です。分厚くて、立派なケースに入っていて、何やら仰々しい雰囲気の1冊でした。ハイジといえば、アニメでしか知らなかった私は、原作がこんなに長い物語で、挿絵もそんなに多くないということに愕然としました。小学校低学年には難しかったのだと思います。せっかくいただきましたが、読まずに長いこと本棚に入れっぱなしでした。

 中学生になって、自室で何もすることがない時に、ふと手に取って読み始めたら、とても面白くて驚いたのを覚えています。やはり童話は変に読みやすくするためにアレンジしたものよりも、原作翻訳の方がよいのかもしれません。

 昔読んだ『ああ、無情』の幼年版の最後が、「さて、ジャン バルジャンはこれからどうなるのでしょう。続きはみなさんが大人になってから読んでみてくださいね」と締めくくられていたことがあって(どこの出版社のかは忘れた)子供ながらに「馬鹿にすんな」と憤慨したのを覚えています。

 以上の他にも、きれいな写真集や、いままで聞いたことのない作者の物語を毎回の帰省に持ち帰ってくれた叔父。叔父の大学は北海道でしたが、東京経由で戻ってくる叔父は私にとって「東京の風を運びし者」といった風で、「東京」という極たまに連れて行ってもらうメガシティにいつか住んでみたいという気持ちを持ったきっかけとなった人物でした。

  親よりも影響力はないけれど、何かのヒントやきっかけをくれる存在がおじさん、おばさんではないかと思います。

 私も2人の姪たちにとっての「わたしの伯母さん」になりたいと思っているのです。


2016年8月5日金曜日

名刺の小箱

 今でこそ、おこがましくもフランス語翻訳者と名乗っておりますが、フランスのフの字もない生活を長く送っていました、新行内です。

 2005年に長男を出産してから、初めての育児にいっぱいいっぱいになり、3年間は全く仕事をせず専業主婦をしていました。その後、引っ越しをすることになり、移り住んだ町の保育園に空きがあったので、子供を預け、事務のパートをしていました。その期間、フランス語の勉強と言えるようなことは何もせず日に日に衰えていく語学力を悔しく思いつつも、とにかく日々の仕事と育児で疲れ果て、努力を怠っていました。

  職場が近く通いやすかったので、細かい不満はありつつも、3年間そんな生活を送っていました。本当はフランスに関わる仕事がしたい、でも状況的に無理なんだ。いつも自分にブレーキをかけていました。忙しい夫とゆっくり話す機会があると、パート仕事の愚痴や、もし出産も育児もなかったら、仕事を続けていたなど、『たら、れば』の全く意味のないことをたびたび口にしていました。そうやって、自分の不本意を状況や他人のせいにしていたのだと思います。
 
 そんな時、愚痴の大嫌いな夫は、「嫌ならパートを辞めてフランスの仕事をしたらええやんか」のような、どストレートな返しをしていました。もともとフリーランスでずっと仕事をしてきた夫にとって、私の言っていることはただの甘えでしかなかったのです。わかっている、このままでは、ずっと不満を抱えながらも楽な道をずるずると行ってしまう。そう思っても、勇気のない私はなかなか一歩を踏み出せずにいたのでした。

 そんなある日、夫が私に小さな箱を渡してくれました。中には「フランスのことなら  新行内紀子」というキャッチフレーズと、フランスの三色旗が書かれた名刺が入っていました。とにかくフランス関係の仕事をしたいなら、行動を起こせという意味だったのだと思います。

 私は雇用契約が満了すると更新はせずにパートを辞め、長男を義父に預け、パリに2週間ほど滞在しました。およそ8年ぶりのフランス。パリで頑張っている友人たちとの再会。尊敬する方とのディナーでいただいた励ましの言葉。子育てを言い訳にして努力してこなかった自分の不甲斐なさ。1人で考える時間をたっぷりともらえて、私は頭のスイッチをカチッと切り替えることができたのです。

 帰国してから、夫の作ってくれた名刺をお会いする方たちに配るようになりました。自分が何をするか、何ができるかもわからない。でもとにかく「フランスのことなら」自分に頼んでみてください、という出発でした。

 夫婦別姓に抵抗がある方も多い中、夫は初めから旧姓の新行内で名刺を作ってくれました。(夫の姓よりも珍しい旧姓の方が皆さんに覚えてもらえるだろうということだったようです。)

 夫婦でいろいろなことがあるけれど、何も言わずに半月もパリに滞在させてくれたこと、この名刺を作ってくれたことには一生感謝し続けると思います。ありがとう。

 そして今、家族で乗り越えなければならない困難に直面している我が家ですが、夫のポジティブで型にはまらない考え方に助けられながら、それぞれの夢を実現できるよう努力していこうと思っています。

2016年7月31日日曜日

母のフランス、娘の後悔

夏休み本番、どこかへ旅行に行く計画のある方も多いのではないでしょうか。

今では長期休みには家族で海外旅行に行くのも一般的になっていますが、私が子供の頃には、ハワイやグアムに行った友達がいるとその珍しさに話題になったものでした。

我が家も旅行はお正月の京都という感じで、私は大学2年でパリに短期留学するまで国外に出たことはありませんでした。

我が母も新婚旅行は当時の定番九州、その後も海外に旅行することはなく、そもそも言葉の通じない国への旅行に行きたいとも思っていないようでした。

ところが、私がアンジェに長期留学となったので、当時大学1年生だった妹①と一緒に来仏することになったのです。
私は久々に家族に会える嬉しさと、元々自分と全く性格の違う母が来ることに不安を覚えました。

パリとアンジェ、合わせて10日程の滞在だったのですが、その間に何度喧嘩になったでしょうか。

スリに合うからブランドものは持ってくるなと言ったのに空港迎えに行くと、普段は持たないヴィ◯ンなど持って来てるし。

食事に行けばこれは食べられないとか、この店は日本人観光客ばかりだとか気にさわることばかり言うし。

所構わず写真を撮りまくるし。

せっかく予約したプチホテルは湯船がないとか幽霊出そうだとか言うし。

超マイペースで自分のスタイルを崩さない母に始終イライラしていました。

(妹は1人で買い物に行き、第2外国語で履修中のフランス語の腕試しをしたりして楽しんんでいたようでした)

それから20年近く経ってみると、あの時あんなに苛立たずに、初めての海外旅行の母に、もっと優しく接して、フランスという国をリラックスして楽しんでもらえばよかったなと後悔しています。


そもそも長い期間、家族と旅行できるチャンスはそうないのに。

私のせいで母のフランスの思い出が苦いものになっていないことを祈るばかりです。










2016年7月29日金曜日

SAJIについて

 梅雨も明けて夏本番となりました。皆さんいかがお過ごしですか?
 暑い日には涼しいおうちの中で、お気に入りの本のページをめくって過ごすのがいちばんと思う新行内です。

 今回は先日最新号が発売されたsaji magazine について書きます。

 フォトグラファーのMihoさんが中心となり、 いま食べているものが、10年後のあなたのカラダをつくる” をテーマに、各界のクリエイターたちと、食の大切さ、楽しさ、そして、美しさを表現する活動saji。年1回発行されるsaji magazineは日英仏の3カ国語表記でで作られていて、世界の食とアートを愛する人たちをつないでいます。他にもさまざまなイベント、ワークショップなどを企画し、世界中で好評を得ています。
 
そんな素敵なsaji magazineの翻訳を2012年からお手伝いさせていただいています。

saji home page     http://www.saji-web.com/

saji Gohan               http://sajigohan.com/


  
 Mihoさんはパリと東京を拠点に活躍されています。彼女とは、イザベル・ボワノの個展の打ち上げの席でお話しさせていただいたのが最初の出会いでした。その時にフランス語翻訳をしているとお話ししたところ、後日、翻訳のご依頼をいただきました。普段はフランス語から日本語への翻訳がほとんどですが、saji magazineのお仕事は日本語をフランス語にします。Mihoさんのコンセプトや、原文を書かれたクリエイターさん、ライターさんの世界観をフランス語圏の方にきちんとお伝えできるよう心を込めて訳しています。

 食とアートは親和性が高いというか、食こそ生活の中で毎日行う芸術活動なのではないでしょうか?まさにフランス語でいうところのL'art de vivreです。私の周りのアーティストたちは皆、食を大切にし、『何をどうやって誰と食べるか』ということを常に意識していると思います。

 そんなsaji magazineの最新号のテーマは「こどもサジ」(写真下段中央と右端)。こどもたちに向けて食の大切さや楽しさを伝える楽しい1冊となっています。もちろん大人たちが読んでも面白い内容です。今号で私は別冊の絵本「ぼくをきらいにならないで」<Please do not hate me!>のフランス語訳を担当しました。この絵本、3歳の我が息子も大好きで、毎日読んでとせがまれます。とてもかわいいお話です!

 コンテンツやデザインはもちろんのこと、毎号毎号、用紙(本に使われている紙)も印刷も素晴らしいです。アートブックとしての価値も高いと思います。

 日本はもちろん、アメリカ、イギリス、フランス、台湾など世界の書店で販売されています。(取り扱い書店はHP のstockistsのページでご確認くださいませ。)

 食とアートを愛する方にぜひ読んでいただきたいです!!

 

2016年7月27日水曜日

フランス語女子のデフォルトファッション

 私が大学生の頃(1996~2001年)のフランス語を学ぶ女子学生のデフォルトファッションについて考えてみました。

 当時流行っていたものですね。もちろん全員が持っていたわけではないけれど、持っている人が多かったものベスト3です。(あくまで私の主観)

 ① ボーダーシャツ

 これは圧倒的にSaint James派が多数でした。あとはLe Minor とOrcival

 今はやっている白地に紺や赤のボーダーというよりは、カラーベースに白のボーダーの方が多かった気がします。これは男女を問わず文化系の学生はみんな着ていたんじゃないでしょうか?
 
じゃぶじゃぶ洗えて丈夫な上に、デニムにもスカートにも何にでも合う。着心地もよい。今またかつてないほどボーダーが流行してますよね。これはもう国民的トップスになっていますね。
 
これとまったく同じのを着ていました(懐)

 ② アニエス・ベーのカーディガン

 これも多かった。色は黒が多かったと思います。本当はスナップカーディガンが欲しかったのですが、学生には少し高かったので私は持っていませんでした。少しだけお安かったコットン素材のボタンカーディガンはよく着ていました。
 
カラフルで毎シーズン新色が出ていましたね。私は緑が好きだったのですが、黄緑色が発売になったとき、すぐに買って色が褪せるまで着ていました。

画像はこちらからお借りしました



 ③ エルベ・シャプリエのナイロントートバック

 とても流行っていました。指定カバンか?っていうくらいにみんなこれを肩にかけて登校していた気がします。

 高校時代にLL Beanのキャンバストートがすごく流行っていたんです。で、大学に入ってエルベに買い替えるみたいな。

 辞書必携の外国語学部生にとって、丈夫で大きいトートバックは実用的だったんですよね。今はみんな電子辞書になって荷物も軽くなってるのかもしれないけど。

 お土産を頼まれてパリのお店に行ったら、店内みんな日本人女子でした。自分のものも買おうと思って行ったのになんとなく買えずに帰ってきた記憶があります。
画像はこちらからお借りしました


  こうやって挙げてみると、どれもスタンダードで飽きのこないものばかりですね。今の大学生はどうなのでしょう?どんな服を着て学校に行くんだろう。

 以上街中にユニクロもH&Mもなかった頃のお話でした。



 

2016年7月25日月曜日

『猫が行方不明』

 (久々の更新となりました。また当ブログに遊びに来ていただき、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。)

     さて、皆さんには何度も繰り返して観る映画がありますか?

 私が定期的に繰り返して観るのはセドリック・クラピッシュ監督の『猫が行方不明』という映画です。

 Chacun cherche son chat    Cédric Klapisch (1996)

                                                         (画像はAllcinemaのサイトより


 日比谷のシャンテ・シネに観に行って、それから何度もレンタルして、最終的にはDVDを買いました。そしてパリでサントラ盤も。とにかく大好きな映画です。

 舞台はパリの下町。若いアーティストも多く住むカルティエだけど、昔からの住人である老人たちも多い。メークアップアシスタントのクロエは、ヴァカンスに出るため、近所のおばあさんマダム・ルネに飼い猫グリグリを預ける。パリに戻るとグリグリが行方不明になったと知り、カルティエの住人たちと捜索を始めるのだが…

 あらすじはざっとこんな感じ。特に何が起こるわけでもない、しかも俳優の半数は素人。華やかなパリではなく、日常のパリを切り取った作品です。

 主人公クロエを演じたギャランス・クラヴェルの等身大の演技が素晴らしく、クラピッシュ監督に見初められ、その後フランスを代表する俳優となったロマン・デュリスもいい味を出しています。

 特に印象的なのはラストでクロエが喜びで走り出すシーン。Portishead の名曲 Glory Boxが流れ、エンドロールへ。その流れが完璧なのです。クラシックからサルサ、テクノまで、劇中を彩る音楽も絶妙です。
 
 フランス映画を観たいけど何を観ようか迷っている方!おすすめです!

 




2016年7月18日月曜日

Badoit(バドワ)の夢を見る

  皆さんの人生で一番恥ずかしかったことは何ですか?

 最近、トラウマになっている恥ずかしい出来事の夢を見ました。この夢は疲れているときなどに繰り返し見る私の悪夢2トップのひとつです。
(もう1つは中学の修学旅行の集合に寝坊して大幅遅刻する夢(実話)です)
 
 そのトラウマを解消するためにも今回はその出来事をお話します。

 パリに初めて短期留学した時、私の楽しみのひとつはスーパーマーケットに行くことでした。今まで紀伊●屋さんとか明●屋さんとかでしか見たことがなかった輸入食材がずらりと安価で並ぶパリのスーパーはまさに夢の世界。ソ●ープラザでは500円もするビスケットが半額以下で売られているというデフレ感。私は時間が空くとよくスーパに行きました。

 その日はとても暑い日でした。何か冷たい飲み物を買おうと、私はスーパー(モノプリだったと思う)に入ります。

 飲み物のコーナーには日本と変わらないコーラやジュースの類が並んでいました。そしてその横には、何十種類とあるミネラルウォーターが並んでいます。

 「ミネラルウォーターを買っちゃう私ってかっこいいんじゃないの?」と思い(恥)、そのたくさんの種類の中からBadoit(バドワ)という日本では見たことがなかった種類の水を選びました。きれいな緑色のBadoitのペットボトルを手にした私は、鼻歌交じりでいつものお菓子売り場パトロールに向かいました。ふむふむ、今日も異状なし、全部おいしそうだわ~。次はチーズ売り場と肉売り場。青果売り場も廻り、すべての売り場に異状がなかったことを確認した私は、意気揚々とレジに向かいます。
こんなに種類があるのですね 

 レジはベルトコンベヤのようになっていて、自分の買うものを置いたら、次の人との仕切りをするために、長い文鎮のような棒を置きます。初めて買い物したときは要領がわからずおどおどしてしまい、不機嫌そうな店員さんに思いっきり迷惑そうにされてしまいましたが、今回は大丈夫。
私は支払いを済ませたBadoitを手にレジを通り抜けました。ミッションコンプリート!!

 もう私もパリジェンヌのように買い物ができるのだ!しかもミネラルウォーターなんて洒落たものを買っている!!有頂天になった私は、レジで緊張したせいで喉がカラカラなのに気づきます。

 さっそくお水を飲みましょう、キャップを開けてと…

 パンッ!!

大きな音がして、水が飛び出しました。

周りの人たちはびくっとして、この物騒な音を出した犯人に厳しい目を向けます。

誰よりいちばん驚いた私はと言えば水がかかって腕や履いていたズボンまでびしょ濡れです。



 たぶんパトロール中に、ペットボトルを振りながら歩いていたのでしょう。微発泡のはずのBadoitがあんなに暴発するのですから!!

 以上、お付き合いいただきありがとうございました。もうこの悪夢を見ませんように…。

2016年7月17日日曜日

祖父母の思い出

 私が育ったのは千葉県の北東部にある旭市という町です。JRの総武本線特急に乗って東京駅から1時間半。九十九里にも面する自然豊かでのんびりとしたところです。

 そんな我がホームタウンも、今では国道沿いには飲食店が軒を連ね、大きな図書館があり、中心部にある公園では、おしゃれなフードイベントなど催され、なかなかの賑わいです。でも、私が小さかった頃は、本当にのどかで、住民はほとんど知り合いという風でした。

 そんな中、我が祖父母は変わっていました。

   祖父は自宅を自ら設計し、九十九里浜に漂着した縄文杉を掘り起こして製材したものを使って建てたり、当時秘境とされていた中国雲南省にしばしば赴き、貿易業を始めたり。

 趣味の骨董集めは、趣味の域を超え、家の中は骨董品(ガラクタ含む)だらけ。私が寝ていたベッドもいつの時代のものかわからないような木製のものでした。晩年はその自宅を資料館として開放していました。
 
 健啖家の祖父は、なんでも食べました。自宅のベランダで栽培した変な植物、雲南省から持ってきた古代米、松茸、白魚、などなど。それらをなんとも上手に調理して私たちにも食べさせてくれました。祖父は食べ物を勧めるのがとてもうまく、「のりちゃん、一口だけでも食べてごらん。ほっぺが落ちるほど美味しいのだから」と言って、初見の食べ物に躊躇う私を、食べてみるかという気持ちにさせるのでした。
 
 自宅には、時々中国の外交筋の方たちが祖父に会いに訪れ、、なぜ、一介の田舎のおじいちゃんの元にこのような方たちがいらっしゃるのか、子供の私にはわかりませんでした。(今もよく分かっていません(笑))

 他方、祖母はとてもおしゃれな人で、毎朝のフルメイクは欠かさず、爪はきれいにマニキュアを塗り、全身隙のない服装をしていました。家業を継いだ父を手伝う母の代わりに私の世話をしていた祖母は、よく私の母親だと勘違いされ、それを得意にしていました。

 祖父の作るゲテモノ料理には決して手を出さず、好き嫌いの多い人で、お菓子やチーズばかり食べていました。髪をたてロールに巻き、フルメイクでわがままな祖母を、私は陰で妹たちと「マリー・アントワネット」と呼んでいました。

     幼少期を両親よりも長く過ごし、可愛いがってくれた祖父母のことが大好きでした。

 そんな2人も鬼籍の人となってしまいました。

 最後の濃密な思い出は、大学時代に、祖父母と私、妹、従弟の5人で2週間中国雲南省と北京を旅行したことです。珍道中でしたがすごく面白い旅行でした!
 
 私が英語が好きになるようにと、教材をそろえてくれたり、私が生まれる前に行ったヨーロッパ旅行の話を聞かせてくれたり、今考えてみれば、祖父母の影響をもろに受けて、私は外国への憧れを膨らませていたのだと思います。

 特に何でも食べる食いしん坊なところは、祖父から受け継いでいると思います。

 この夏は帰省し、お線香をあげたいと思います。


2016年7月16日土曜日

イザベル・ボワノの日本語ブログ

 インターネットが普及していなかった青春時代、あこがれのアーティストや作家、ミュージシャンの活動は、世に出た作品のみで知ることができ、その生い立ちや日々の生活についてはよほどの有名人でもない限り、知られることはなかったと思います。

 今ではホームページやSNS、ブログ等でアーティストの活動やプライベートについて知ることができるようになり、私たちファンとの距離はぐっと縮まりました。
 
 また、そのブログやインスタグラムにアップされる写真なども、作品の一部といってもよい時代になったと思います。

 さて、今回は私が日本での仕事のお手伝いをしている、イザベル・ボワノの日本語ブログについてです。

 まずは彼女のブログ、ご覧になったことはありますか?


 公式日本語ブログ『イザベル ボワノのブログ』はこちら  

 彼女のパリと田舎の両親の家での生活のひとコマ(料理やお菓子、蚤の市、パパの丹精する家庭菜園など!)や、来日時の東京の街で出会った面白い風景、かわいい犬(彼女は大の愛犬家なんです!)などが紹介されています。
 
 また日本でのイヴェントや出版・掲載情報などについてもお知らせしているので、ファンは見逃せませんね。



 Instagram も頻繁に更新していますよ。こちらもフォローして頂ければと思います。

 イザベルは気さくでファンとの交流をとても大切にするアーティストです。(彼女のサイン会にいらした方は、彼女がひとりひとりに丁寧にサインをするのをご存知だと思います。)何かイザベル本人に直接聞いてみたいこと、お知らせしたいこと(ご自分のブログにイザベルのことをアップして頂いたなど)等ありましたら、彼女のフェイスブックへコンタクトを取っていただければと思います。(リンクがブログの中にあります)もちろん、日本語で書きたい場合でも大丈夫です。ぜひ、今ご覧いただいている新行内のブログのお問い合わせフォームからお送りください。私が責任を持ってイザベルにお伝えします!!

 イザベルは今後どんどん日本での活動を広げていきたいと思っています。
 彼女の仕事にご興味を持ってくださったら、ぜひお気軽に私にコンタクトを取っていただければと思います。

 それでは!


2016年7月15日金曜日

誰にも壊せないもの

 今朝息子を学校に送り出し、テレビをつけると、ニースでの事件のニュース。
 
 その後一日中何をしていても上の空でした。

 初めてのフランスで友人と訪れたニースの街。美しい浜辺に沿ったプロムナード・デ・ザングレを晴れやかな気分で散歩したことは今でも私の胸に刻まれています。美しい思い出や、友情や、連帯の気持ちは、誰にもどんな卑怯な手を使っても破壊することはできない。

 被害にあった方たちとそのご家族に深い哀悼の意を表します。

2016年7月14日木曜日

パリで食べるもの その3 クスクス

 クスクスってかわいい名前だね~♪(童謡トマトのメロディーに乗せて)
 今日新行内が食べたいのは~クスクスです。

  そして 3回にわたってお送りしたパリで食べるものシリーズ、最終回です。


クスクス(Couscous)

 北アフリカマグレブ地域発祥の料理で、デュラム小麦に水を含ませてそぼろ状に丸めて蒸したスムール(semoule)に、肉や野菜を煮込んで作ったスープをかけていただく料理。トッピングに焼いた肉や魚、メルゲーズ(腸詰)などがあり、お好みでハリッサと呼ばれる唐辛子のソースを混ぜながら食べます。こちらもパリにはたくさんのレストランがあり、学食や家庭でもよく出てくる、もはやフランスの国民食と呼べる料理です。
 
 アンジェに留学していた頃、パンが大好きな私でも、どうしてもご飯が食べたくなることがありました。そんな時、学校の近くにあったマグレブ料理屋さんでクスクスを食べました。つぶつぶとしたSemouleを食べると、なんとなく満足することができたのです。(当時アンジェには日本料理店はなく、近所の中華料理店はすべてが塩辛くて苦手だったのです。)

 上の写真はパリ在住の友人に連れて行ってもらったサクレクール寺院の近くのRue MullerにあるLe Petit Bleuというお店のCouscous Royal(ロワイヤルはトッピング全種乗せ)で、とても豪華。小さなお店ですがとても居心地がよく、自家製のハリッサがとてもおいしいです。ボリューム満点でうんとお腹を空かせていかないと完食できません。

 下の写真はパリのモスク、ラ・モスケ・ドゥ・パリの中庭にあるレストランのクスクス。こちらはあっさりとしていてするすると入っていくタイプ。ただ、中庭には客の食べるクスクスを狙う鳩たちがテーブルにまで上ってきて、ヒッチコックの『鳥』は絶対見れない鳥嫌いの私には修羅場でした。(その後鳩に怯える私を見て笑いをこらえながら給仕の方がスムールの皿をナプキンで包んでくれて事なきを得ました。はじめからこのスタイルで持ってきてほしかった。)

 スムールは輸入食材店で手に入りますし、スープも簡単に作れるのですが、夫も子供たちもクスクスが苦手。どうしても家で作って食べる気になりません。

 なので、パリで食べた~い!

 さて、3回にわたって私がパリで食べたいものをご紹介しましたが、何かにお気づきでしょうか?

 はい、いわゆるフランス料理がひとつも入っていないじゃないか~!!

 留学中も、旅行で訪れるときも、もちろんフランス料理を食べることの方が圧倒的に多いのですが、記憶に残り、帰国後に思い出して猛烈に食べたくなるのはパリのエスニックばかり。

 そもそも人種、宗教、文化のるつぼ、パリ。
 この街では、ボブンもコック・オ・ヴァンも、ファラフェルもクロックムッシュもすべてが同じように愛され、堂々と存在している。カテゴリーなんて軽々飛び越えておいしいものを食べる。パリジャンたちのそんなところが私は大好きなのです。

2016年7月13日水曜日

パリで食べるもの その2 ファラフェル

 たこ焼きやお肉屋さんで買うコロッケ。いわゆるストリートフードと呼ばれるジャンル。若い頃は外のベンチにちょこんと座って、パクパク食べるのが大好きでした。アラフォーと呼ばれる今、無心で何かを食べる姿を人目にさらすのが申し訳なく、できれば持ち帰りたくなってきている新行内です。

 さて今回はパリのストリートフードの代表格、ファラフェルについてです。

ファラフェル (Falafel)

 


 ファラフェルは中近東発祥の料理で、ひよこ豆をすりつぶしたものにスパイスを混ぜ、団子状にし、油で揚げたもの。パリではこのファラフェルをたくさんの野菜や揚げ茄子などと一緒にピタパンにはさみ、ソースをかけたものが街のスタンドなどで売られています。(サンドイッチにしていないファラフェルもレストランで出されています)
 肉を使っていないのにお肉を食べたような満足感。野菜たっぷりでこれを1つ食べれば栄養もカロリーも十分補給できる。でも植物性だからヘルシー。パリの街歩きの途中に気軽に食べられるのも嬉しいです。
 
 4区のマレ地区Rue des Rosiers(ロジエ通り)には何軒かのスタンドがあり、人気店では行列も出来ています。これを食べるたびにおのぼりさんっぽいな~(原宿でクレープ食べるみたいな)と恥ずかしくなるのですが、食べずにはいられないのです。誰も知り合いもいないし(笑)立ち食いするのもそれほど抵抗がありません(周りでみんな食べてるしね)。

 写真はロジエ通りのChez Hannaのファラフェルサンド。多摩地区の健啖家おばさんと呼ばれる私でも、1つ食べきれませんでした。おいしいんですけどね。すぐ近くにあるL’As du Fallafelのものが好きなのですが、この時は閉まっていました。

 東京にもお店がけっこうあるようなのですが、どれも自宅から遠い、おしゃれ地区にあるのでなんとなく足が向かいません。

 あ~ファラフェル食べたい。

 続きます。

2016年7月12日火曜日

パリで食べるもの その1 ボブン

 今日はじめじめと不快な暑さ。周りには早めの夏休みを取ってヨーロッパ旅行をする方もちらほら。SNSにアップされる写真を眺めると、自分も旅に出たい気持ちに拍車がかかります。

 国内・海外旅行どちらにしても、私の旅の1番の楽しみは、ずばり『食』。きれいな風景より、歴史的建造物より『何を食べたか!』これがもっとも心に残ります。

 稀代の食いしん坊の私が、パリに行ったら必ず食べたいものベスト3をお送りします。

ボブン(Bo Bun)

 
 まず最初に思い浮かぶのがベトナムの麺料理ボブン。お米でできた細麺の上に、野菜、牛肉、ネム(ベトナムの揚げ春巻き)ピーナッツなどがトッピングされていて、お椀の底には甘酸っぱいソースが入っているので、よくかき混ぜて食べます。パリではおなじみの麺料理で、ボリュームもあり、気取らずに食べられる庶民の味です。
 
 ご存知のとおり、パリには植民地支配の歴史などを背景にインドシナ半島からの移民が多く、ベトナム料理店もたくさんあり、そのほとんどでボブンが食べられます。

 日本でもベトナム料理はかなり浸透してきましたが、フォーを出すお店は多くても、ボブンはなかなか食べられません。日本人の好きな味なので流行ると思うのですが…。この食べたくても食べられない(自分じゃ作れないし)切ない気持ちはもはや『渇望』と言えるレベル。
 
 上の写真は3区Rue VoltaにあるRestaurant SONG HENG。人気店で昼時は相席必至でお店の外には行列もできるお店です。メニューはフォーとボブンの2種類しかありません(ここはフォーも美味しいです)。パリに行かれる方はぜひボブン、召し上がってみてください。

 あ~食べたい。
 
 続きます。

2016年7月11日月曜日

『日記 ヨーロッパ浮わ気ドライブ』について

 今回は以前編集をお手伝いさせていただいた 『日記 ヨーロッパ浮わ気ドライブ 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』 をご紹介します。




                 日記『ヨーロッパ浮わ気ドライブ 広告マンがクルマで走った1957年の欧州』(水馬義輝著)Kindle版




                                                      (書影はAmazonのサイトより)



 広島の広告代理店・みづま工房の創立者、水馬義輝氏が1957年7月から4カ月間、パリを拠点にヨーロッパ各国を車で旅した記録で、手書きの詳細な日々の記録と、水馬氏によって撮影された膨大な写真をもとに編集された書籍です。


  1957年と言えば、まだ日本人にとって渡欧が夢の世界の話だった時代。水馬氏はシトロエンとルノーのハンドルを自ら握り、9か国を走り抜け、3台のカメラを駆使して、広告マンの視点で当時のヨーロッパをフイルムに焼き付けていきます。


 訪れる国々でカルチャーショックを受けたり、自動車が故障したり、美術館で観た作品に心奪われたり。水馬氏の日記は読む人に氏の瑞々しい驚きや感動を伝えています。これも日毎に記録された走行距離や支出金額、地図や食事の内容などの克明な記録に基づくリアリティがあるからこそ。歴史的資料としても価値あるものだと思います。


 また、当時の写真はとても貴重なものばかり!パリの写真などはそのままヌーヴェル・ヴァーグの世界です。


 現在はKindle版のみ販売されていますのでご興味のある方はぜひお読みになってください。


 また、この電子書籍のスペシャルサイトhttp://www.eudriver.net/ もとても面白いのでぜひご覧ください! 


 さて、この本の編集で私がお手伝いさせていただいたのは、水馬氏の日々の記録用紙の内容をワープロソフトで書き起こす作業でした。4か月にわたる旅行ですので、当然ボリュームもあり、最初のころは先が見えず苦労しました。でも毎日、氏の記録をなぞっていると、まるで自分が氏に乗り移ったかのようになり、書き起こす風景が目に映り、車が故障すれば「またかよ、勘弁してくれよ!」と水馬氏も口走ったであろう言葉を漏らしてしまうほどのめり込んでいきました。一字一句、誤字まで正確に書き起こすように頼まれていたので、原稿は記録用紙の完全な復元物になりました。原稿を納品した時点では、どんな感じの本になるのか全く想像がつきませんでしたが、編集担当の恩田さんの手にかかり、氏の記録に忠実でありながら、とても読みやすく、ページを繰る手が止まらない素晴らしい1冊となって手元に届いたのです!

 編集担当の恩田さんとは、私が大学生の時からのお付き合いがあります。当時東京日仏学院の文芸翻訳のクラスを履修していたのですが、そのクラスでご一緒していた方に、フランス語の通訳を探していた恩田さんをご紹介いただき、食のスタイル雑誌「ARIgATT」(現在廃刊)のフランス関連記事のための翻訳や通訳をさせていただいていました。ミシュランガイドの編集長や超有名シャンパーニュ会社の社長など、大学生が会うことなどあり得ない方たちのインタビューを通訳させていただいたことを昨日のことのように思い出します。ライターをされていた恩田さんは、まだ学生の私をひとりのプロとして信用してくださり、チームを組んでくださいました。その後も食事に誘っていただいたり、フリーになるときにはいろいろとアドバイスをくださったり、とても頼りになる素敵な先輩なのです!(これからもよろしくお願いします!)


 日記と言えば、先日自分の学生時代について記事を書いたとき、やはり20年近く前の記憶はかなり曖昧になっていて、きちんとした記録をつけておくべきだったと後悔しました。今はSNSがある意味日記のような役目をしていますが、それは友人たちに公開する前提で書かれたものであり、生活の中で抱いたネガティブな感情や、他人との諍い、恥ずかしい失敗などについては語られず、後からさかのぼって読んでみると、おいしいものを食べて、旅行に行き、仕事や子育ても順調なハッピーな私しか見えてきません。しかし実際の生活と言えば、言うことを聞かない子供たちに手を焼き、昼食はカップ麺を啜ったり。きらきらと楽しかった思い出は脳によって勝手により一層美化され、記憶に定着し、ネガティブな思い出は次第に色褪せ、なかったことになっていく。そんな気がします。


 ハレの日もケの日も両方あっていい。

 日記をつけ始めようと思います。

2016年7月7日木曜日

Kumisoloについて

 初めて会ったときに、何かを感じる人っていませんか?雰囲気があるというか独特の波長が出ているというか、古い表現だけど、オーラがあるというか。

 私が大学2年のとき、友人と作ったサークルを訪ねてきたKumiちゃんを見て、とても強い印象を受けたのを覚えています。まだあどけない少女のようでありながらしっかり自分を持っていて、おっとりとした優しい話し方の中にも、しっかりとした意志をかんじられるような。

 当時からフランス文化にとても造詣が深く、音楽や映画にとても詳しくて、なんといっても私のバイブルだったオリーブのストリートスナップに載ったことがあるKumiちゃんに私は尊敬の気持ちを抱いていました。家も近所だったので遊びに来てくれたり、作ったガト・オ・ショコラを届けてくれたり、心地よいお付き合いをさせてもらっていました。私が留学から帰って、ホームパーティーを開いたとき、偶然来ていたフランス人アーティストの友人を、Kumiちゃんに紹介しました。彼らは連絡先を交換し合い、Kumiちゃんが渡仏した後に様々なプロジェクトでコラボし、活躍しています。初めてふたりの共作のMusic Videoを観たとき、感動して涙が止まりませんでした。Kumiちゃんは私にとって永遠の尊敬の対象であり、ミューズなのです。そして私とイザベル・ボワノを引き合わせてくれたのもKumiちゃん。2012年の夏、パリのイザベルのアパルトマンで約10年ぶりの再会を果たせたのはよき思い出です。

 フランスが好きな方はご存知かもしれませんが、Kumiちゃんはバンド活動(Konki Duet)を経て、現在はソロ、Kumisoloとしてパリを拠点に活動しています。

Kumisolo ホームページはこちら➡ http://kumisolo.com/

 彼女の音楽はポップでキャッチー、それでいてユーモアと辛辣さを併せ持っています。フランス語・日本語・英語を自由に操り、フランスと日本をボーダレスに行き来する世界観、とても魅力的なんです。

Cœur Frag



Ongaku



 また、音楽だけでなく、ファッションやアートなど様々な分野のアーティストたちとのコラボレーションも多く、彼女の才能へのリスペクトが感じられます。
 
 Shu UemuraのPV かっこいいです!!



 こちらはビオ食材の宅配会社Les Popotes のプロモーション用炊き込みご飯の作り方説明ビデオ。可愛いです!!



 パリではライブやイベントなど、精力的に活動しているKumisolo。パリになかなか行けない私は、日本での凱旋ライブを熱望しています。
 
 私もいつか彼女とお仕事ができるよう、努力していきたいと思います!

 

2016年7月6日水曜日

リヨン~アンジェ/修道院のブリジット

 性懲りもなく学生時代の記憶の旅を続ける新行内です。もう少しだけお付き合いくださいませ。

 パリ短期留学から帰った私は、学習塾のバイトを辞め大学と日仏学院の授業に集中するようになりました。3年生に進級するタイミングで、2つ下の妹が早稲田に入学したため、松原団地と高田馬場の中間点(?だいぶ高田馬場よりのような?)にある西日暮里のアパートに引っ越し、妹との共同生活が始まりました。私にとっては初めての東京暮らし。各種書類の住所欄に「東京都」と書けるのが嬉しかったのを覚えています。
 
 大学では、尊敬するフランス人教授のゼミにも入ることができ、毎日が充実していました。そして無事交換留学生試験をパスすることができ、4年生の夏から1年間の留学に旅立ちました。

 留学先のフランス西部の中核都市、アンジェに入る前に、大学から支給された留学準備金を使ってリヨンカトリック大学の夏期講座を1か月間受講しました。フランス第2の都市、リヨンに滞在してみたかったのです。大学は市の中心部にあったのですが、学生寮は郊外にあり、夜には1人ではで歩けない雰囲気のところでした。実際昼間に1人で歩いていて、トラックの窓から空き缶を投げつけられたこともありました(怖)。なので夜出歩くということはほとんどせず、その分寮の仲間同士でとても仲良くなり、寮のキッチンで料理をしてみんなで食べたり、音楽をかけて即席クラブを作って踊りまくったり、週末にみんなでスイスを旅行したりと楽しかった1か月は瞬く間に過ぎてしまいました。

 そしていよいよアンジェ入りします。私が通った西部カトリック大学 Université Catholique de l'Ouest CIDEF http://www.uco.fr/はフランスにはわずか4校しかない私立大学です(他はすべて公立)。治安のよい街であること、この地方のフランス語のアクセントが美しいという定評があることからか、日本をはじめ、アメリカ、カナダ、韓国、台湾、メキシコ、イタリアなど、さまざまな国からの留学生が在籍していました。授業はとても厳しく、課題や論文、資格試験の勉強など、寮に帰ってからもかなり勉強しないとついていけませんでした。
 
 住まいは大学から斡旋された女子寮に入りました。そこは修道院が経営する寮で、主にスペイン出身の高齢のシスターたちとアンジェにある何校かの大学に通う学生が50人くらい滞在していました。
 早朝から階下のチャペルでお祈りの時間があり、夜は夕食後すぐにシスターたちは寝室に戻っていきました。現代の生活の中で彼女たちは浮世離れした存在で、いつも静かに年頃の女学生たちを見守っていました。もちろん男子禁制。庭師の男性ぐらいしか門の中に入ることはできず、金曜の夜などは、門の前に男の子たちが、ガールフレンドが出てくるのを待って並んでいました。そんな清廉な雰囲気の寮内に1台だけあったテレビで、シスターたちが寝静まった後、お下劣で最高に面白い映画『Les Bronzés』http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=51781をみんなで観てゲラゲラ笑い、トイレに起きてきたシスターに気づき、慌ててチャンネルを変えたりしていました。
 朝食には、毎朝近所のパン屋さんが配達してくれる焼きたてのバゲットが籠にこんもりと盛られており、バターと2種類のジャム、コーヒーとミルクがセルフサービスで食べられました。フランス人の友人たちは、毎日タルティーヌじゃ飽きると言って、シリアルや何かを食べたりしていましたが、私は1年間、ほぼこのパンをタルティーヌにしてカフェオレと一緒に食べ続けました。パンはもちろんバターやジャムがおいしくて、飽きることなどなかったのです。寮での食事は夕飯のことより、この朝食のことの方が印象深いです。
 
 当時はフランスではやっと携帯電話が普及し始めた時代、誰かから電話がかかってくると「Noriko, demandée au téléphone! ノリコ、電話です!!」という寮内放送がかかり、寮に2台しかない電話に駆け込み受話器を取るのでした。自分に電話がかかってくるととても嬉しい。他の子が呼ばれてると「あっ、あいつまたかかってきてる!いいな~。」なんていう具合に、それまで集団生活に慣れていなかった私は、その楽しさにどっぷりとはまりました。今でもできることならば、どこかの寮に入って、少し不便な暮らしがしたいと思ってしまうほどです。
 
 そしてなぜか寮母さんにあいさつをすると、「Bonjour Brigitte! おはようブリジット!」と返されていました。ノリコとブリジット、どう考えても似ていないと思うのですが、日本人の慣れない名前を覚えるのが面倒だったのか、以前に私に似たブリジットという名のアジア系フランス人の学生がいたのか。理由なんてどうでもいい!私は小躍りしました!!「私がブリジットだって!!!」そうです、自分が憧れのフランス人ネームをつけられたのですから!(アホ)
 ちなみにこのブログのタイトルNorique(ノリック)は、アンジェ時代の友人がつけてくれたニックネームです。

 旅行にも多国籍グループで、いろいろ行きました。バルセロナやロンドン、ベルリンやブリュッセルなど。フランスの学校はこまめに1~2週間単位の休暇があり、電車代なども25歳以下には大幅なディスカウントがあったりして、お金をかけずともいろいろな都市を旅することが出来ました。宿泊はテントか車中泊、ユースホステルなどを使いました。今この年齢になると、さすがにテント泊はきついかもしれませんが、当時は若さゆえ多少の困難が旅を楽しくするスパイスになっていた気がします。
 また、ミレニアムをパリで過ごそうと、友人たちと、私が以前お世話になったパリのマダムの家に滞在しました。夕飯は日本食レストランで年越しそばを食べようと言っていたのに、アペロでピスタチオを食べすぎ、お腹を壊してしまいひとりアパルトマンで留守番をしたのを鮮明に覚えています。その後正露丸の力を借りてシャンゼリゼに出て年越しをしました。酔っぱらいの投げたビール瓶が当たりそうになったりしましたが、よき思い出です。(的がデカいからか、ものをよく投げつけられてますね)※後日友人より、私はお腹を壊していたのではなく、ガスが溜まっていて腹痛を起こしていたとの指摘がありましたので訂正します。

 留学も後半戦に入ると、大学の他でも、アンジェっ子の友人も出来、放課後や週末はその家族と過ごすことが増えました。何週間にも及ぶフランスの休暇も、その友人家族の別荘で過ごしました。ひとりっ子だった彼の両親からはとてもかわいがってもらい、いろいろなところに連れて行ってもらい、親戚の集まりにまで呼んでいただき、お母さん得意の料理をふるまってもらいました。彼らと過ごした時間が、フランス語や、フランス文化の習得にどれだけプラスになったことでしょう。感謝しても感謝しきれません。(翌年彼と両親は来日し、我が実家に滞在したこともありました。今は亡き祖父母に彼らを紹介できたことはとても良い思い出です)。

 とにかくこの1年間の密度の濃かったこと!思い出をすべて書こうと思ったら何ページあっても足りません!日本人の友人、世界中の同年代の若者と勉学に励み、遊び、旅をし、語り合えたこの1年は、いまだに人生の中の最も充実した日々だったと言えます。1年の短い期間だったからこその無責任な感想かもしれません、それでも私にとっては、いつまでもみずみずしく保っておき、辛く苦しいときには取り出して眺めたくなる記憶の集合体なのです。

 こんな頭の中がお花畑状態で帰国した私を待っていたのは、超超氷河期といわれた2000年の就職活動だったのでした。

 続きはいつか書きたいと思います。


2016年7月5日火曜日

プラスチックな仲間たち/パリへ!

 前回、前々回と、私の学生時代について書いた記事に、「早く続きが読みたい」と言ってくださる方たちがいたりして、調子に乗って本日も学生時代に思いを巡らせる新行内です。

 さて、サークルなし、恋人なし、バイトと学校の毎日を送っていた私ですが、大学生活も1年を過ぎた頃には「私はこのまま退屈な日々を送っていてよいのか?」と自問し始めます。これは憧れていた学生生活ではない、寂しすぎるぞ!という心の声が聞こえてきたのです。授業で会えばおしゃべりしたり、昼食を一緒に食べたりする友人はいましたが、もっと親密に、楽しく過ごせる仲間が欲しい、そう、仲間が欲しいんだ!ということになり、春休みに同じ高校出身の友人と2人で、サークルを作ろうと計画しました。でも、何のサークルを?私たちは、チラシをコピー機で印刷し、新入生に配りました。そのチラシには『Plastic Machines』と書き、≪映画や音楽が好きな人募集≫的な文句、そして連絡先のみを載せました。きっと誰も来ないさ、だって自分たちでも何のサークルかわからないのだし。と思っていましたが、なんと10人ほどがコンタクトを取ってきてくれたのです。同郷の他大学の男の子をはじめ、何人かの男子とお洒落で個性的な女子たちが、仲間になってくれたのです。これは予想外でした!とは言え、決まった活動は特になく、たまにご飯を食べに行ったり、学食でお昼を一緒に過ごしたり、誰かの家でビデオを観たり、サークルノートを回したりそんな感じでした。今思えば、部活やサークルに所属するよりも、ひとりでいるほうが好きなタイプの人が多かった気がします。
 
 その中の1人に、今フランスを中心に活躍するミュージシャンKumisoloちゃんがいたのです!!
http://kumisolo.fr/
彼女は60年代の古着を素敵に着こなして登校し、太くアイラインを入れてヌーヴェル・ヴァーグの女優のような雰囲気を醸し出していました。やはり当時から異彩を放ち、素敵だったのです!(Kumisoloについては別の回で詳しくご紹介します!)

 他のメンバーも、独特の雰囲気を持った、面白い人たちでした。今でもSNSで繋がっている人がいますが素敵に歳を重ねているようです。

 そんなこんなで完全に調子をこいた私は、1年間地味な生活を送っていたために貯まりまくった貯金をはたいて、2年生の夏休みに1か月間のパリ留学に出ました。大学で斡旋してくれる留学プログラムもあったのですが、変に背伸びをしていた私は、初めての海外渡航であるにも関わらず、自分ひとりで学校探しから航空券の手配までをし、出発の日を迎えました。トランクにものを詰め込みすぎて超過料金を取られそうになり、成田のチェックインカウンターで、見送りの両親とトランクを開けて重い荷物を取り出した記憶があります。本当はとても不安でしたが、これが自分で選択する人生の始まりなんだ!と妙に意気込んで行ったのを覚えています。

 パリの空港には語学学校のスタッフが迎えに来てくれていたのですが、早速助手席だと思って左ハンドルの運転席に乗り込もうとして、「き、君が運転するのか・・・?」と驚かれました。

 ホームステイ先は8区の高級アパルトマンの1室。有名な建築家の元妻で、官能小説を書いているマダムと、私と同世代の娘と息子の家庭でした。私の他にもドイツ人とレバノン人、オランダ人の留学生が滞在していました。みんなとフランス語で話そうと努力しますが、大学1年間の学習で獲得した語彙は少なすぎ、他の留学生たちも初心者だったので、結局英語で会話していました。1か月の滞在で、英語がかなり上達しました。肝心のフランス語は、授業がとても厳しく、苦労しましたが、ラテン系の学生たちが日に日にペラペラになっていくのを横目に、私の上達は亀の歩みでした。でも、何かを掴み始めた気がしました。
通っていた語学学校 ELFE   http://www.souffle.asso.fr/fr/elfe.html

 午後に授業が終わって、パリの街を歩くのがとても楽しみで、毎日メトロに乗っていろいろなところに行きました。映画の中で見ていた場所に自分が立っている、そのことだけで涙が出そうになっていました。実際に泣いていた気もします。傍から見たらエキセントリックなアジア系中学生。パリの中学生によく声をかけられました。

 パリでは見るもの食べるもの、すべてが新鮮で刺激的でした。そのどれをも目に焼き付け、パリの美しさ、汚さ、厳しさ、寛容さを体感する毎日でした。

 帰国が近づいたある日、アパルトマンでマダムと2人きりになったとき、「強く、賢い女性になるのよ、自分の道を自分で拓ける人間になりなさい」と目に涙を浮かべて言われたのを覚えています。私は彼女の目にどう映っていたのでしょう。 とても頼りなげでまっさらな、自分のない少女に見えていてそう諭さざるを得なかったのかもしれません。

 あっと言う間に1か月は過ぎ、帰国した二十歳の私は、今までの自分ではなくなったような気がしていました。そして習得をあきらめていたフランス語を何とか自分のものにしようと、勉強するようになりました。考えてみれば受験勉強すらきちんとやらなかった私が、初めて時間を忘れて机に向かうようになりました。パリで英語で生活した自分への嫌悪感と、1か月間のフランス語特訓で芽生えた「もしかしたら話せるようになるのかも」という僅かな希望がそうさせたのだと思います。
 次はもっと長く留学したい。交換留学生の試験に受かりたい。大学だけでなく飯田橋の東京日仏学院(現アンスティチュ・フランセ東京)http://www.institutfrancais.jp/tokyo/に通いだしたのもこの頃です。

続きます。


2016年7月3日日曜日

松原団地の青春

 最近ニュースで東武伊勢崎線松原団地駅の名前が「獨協大学前駅」に変わると聞き、複雑な思いを抱いた新行内です。賛否両論あるみたいですね。

 そんな獨協大学に1996年に入学しました。もう20年も前のことなのですね。
 当時私の在籍したフランス語学科は、フランス語を高校までに既に習ってきた学生で構成される「既習者組」1クラスと、大学からフランス語を始める「未習者組」3クラスがありました。驚くほどに女子ばかりで、男子学生はクラスに3~4人くらいだったと思います。共学の中で育った私はまずこの女子ばかりという環境に少し恐れを抱きました。しかも周りの女子はみんな大人に見え、それぞれ入学後すぐにテニスサークルやオールラウンドサークル(当時流行っていた)などに入り、キャンパスライフを謳歌していました。
 私と言えば、入学早々決まった学習塾の英語講師のアルバイト開始2日めにして、帰りのバス停で痴漢に遭遇し、すぐに交番に駆け込んで無事だったのですが、その事件がトラウマになり、あんなに大嫌いだった実家に帰りたくなるというまさかのホームシックに陥りました。とにかく1人で暮らすことが怖くなってしまいました。そんな私を救ってくれたのは、当時住んでいた、大学のすぐ裏の獨協大生専用のアパートで隣室だった同級生でした。彼女は三重県出身のドイツ語学科生で、同級生でしたが浪人を経験しており、1年ひとり暮らしが早かった分、私のことをいろいろと心配して声をかけてくれました。彼女の部屋で食べた彼女の帰省後に必ず作ってくれる伊勢うどんの味がまだ忘れられません。
 こうして、ホームシックに罹り、サークルの新歓コンパのノリにどうしてもついていけない私は、なんのサークルにも所属しないという、一匹狼の道を選んだのです。もう、授業とアルバイトのみの生活。飲み会もない、サークル合宿もない、ただただ学校とアパート、学習塾の往復。それを淡々とこなしていました。肝心のフランス語も、やたら動詞の活用や発音記号ばかりの教科書に早々にギブアップ感を覚え、「あ~なんで英語学科にしなかったんだろう・・・」と後悔の日々。4年後にフランス語が話せるようになっているイメージもなく、1年生の頃の成績は中の下あたり。唯一学校で楽しかったことはオーディオルームで、フランス映画のビデオを観ること。フランスの新旧の映画を思う存分鑑賞できました。そして、松原団地は東武伊勢崎線。ぐいぐい南下すると日比谷線に直通しており、休日は六本木の「シネヴィヴァン」(閉館)や日比谷の「シャンテシネ」(現TOHOシネマズ・シャンテ)に行き、フランス映画の新作を見に行きました。そういうことに付き合ってくれる友人もいなかったのでひとりきりで。日比谷に行った時にはプランタン銀座の地下にある「ビゴの店」でバゲットを買い、隣にあったチーズ売り場で今までプロセスチーズかクリームチーズしか食べたことのなかった私は、フランスのいろいろなチーズを少しずつ買い、家で簡単なサラダを作って、おフランスな食卓を演出し、ひとりで食べては悦に入っていました(隣人は恥ずかしくて呼べなかった)。アンジェリーナのモンブランを初めて食べたときの感動もまだ覚えています。イエナ書店(閉店)で自分でも読めそうな子供むけのフランス語書籍を買ったりするのも喜びでした。フランスの本は、匂いが日本の本とは違うのです。当時はくんくんそれを嗅いでは遠いフランスに思いを馳せていました。
 松原団地から都心は遠かったけれど、千葉にいた頃から比べればとても近い。何しろ乗り換えなしで六本木です。当時は夢のようでした。ある教授が「獨協大学は教授陣やカリキュラムどれをとっても素晴らしい大学だけど唯一立地条件が悪すぎる。もし都市部にあったら、君たちなんか入学できないよ」とおっしゃっていました。でも私にとってはそこは夢の「都会」だったのでした。 続きます。

どうしてフランスだったのか?

 人にはそれぞれ、理由はないけれどとにかく『これが好き』『やめられない』『なぜか気になる』といったジャンルがあると思うのです。それがフランスだった人、新行内です。 

 「フランス語の翻訳をしている」とか「高校生の頃の理想の男性はジャン・ピエール・レオーだった」などと話すことがあると、みんな「えっ?似合わないね」というような表情を浮かべます。正確に言うとそういった表情を出さないように努力している表情をです。確かに、私はいわゆるおフランス好きには全く見えません。世間で言われる所謂「おフランスかぶれ」のイメージとして、お洒落であったりインテリであったり、流行に敏感だったりというのがあると思うのですが、そのどれもが私には当てはまりません。そんな私が、なぜフランスをジャンルとして(笑)選んだのか。考えてみました。
 私とフランスとの出会いは、高校時代のことでした。当時、田舎の女子高生だった私は帰宅部。放課後は再放送の「大岡越前」を祖父と観るために、1時間に1本しかない電車に乗るために命を懸ける毎日を送っていました。彼氏もいない、打ち込むスポーツもない、ましてや勉強も好きじゃないという暗黒時代、唯一の楽しみは毎月3日と18日に発売のオリーブを読むことでした。当時のオリーブはファッションだけでなく、ライフスタイルや映画や音楽などのカルチャーを東京との時差なく運んでくれる雑誌でした。その頃の私にとってはまさにバイブル的な存在です。聴くもの観るもの読むもの、すべてにおいて影響を受けていたと思います。
 そんな中でも一番心をつかまれたのが当時「渋谷系」と呼ばれたミュージシャンたち。ピチカート・ファイブ、フリッパーズギターやカヒミ・カリィ、など当時のポップカルチャーを牽引していた方たちが影響を受けていたもの、そして私たち世代に紹介していたもの、それがフランスでした。こどもだった私にどこまで理解できていたかはわかりませんが、トリュフォーやゴダールの映画を観、ピエール・バルーやセルジュ・ゲンズブール、フランソワーズ・アルディの曲を聴く。サガンやカミュの本を読む。テキストを買ってきてフランス語を独習し始めたのもこの頃です。
 フランス崇拝主義は若さのアクセルもあって、どんどん加速していきました。そして高校3年夏、私はフランス語学科のある大学に進学することを決めたのでした。もう、将来何になりたいとか、そういうレベルでの話ではありません(小学生の頃は英語の通訳か翻訳家になりたいと思っていましたが)。4年間、フランスにどっぷりかぶれるためだけの進路選択でした。幸い、子供たちの進路に無関心な両親から反対されることもなく、私はフランス語学科の学生になったのでした。そしてその学生時代にはさまざまな人たちとの出会いがありました。 続きます。



2016年6月28日火曜日

BD(ベデ)をご存知ですか?

 じめじめしたお天気続きですね。でも梅雨が明けたらいよいよ 夏。暑さに弱い私には厳しい季節です。でも夏が好きっていう人多いですよね、そして皆さんマリンスポーツやレジャーへととてもアクティブなこと。そんな人たちに憧れと尊敬の念がやまない新行内です。

 さて、タイトルにも書きましたが、みなさんはBD(ベデ)という言葉を聞いたことがありますか?正式にはBande dessinée(バンド・デシネ 絵が描かれた帯の意)といいまして、これ、日本で言うところの漫画なんです。主にフランス語圏の漫画がこう呼ばれます。今や日本の漫画はMangaと表記され、世界中で読まれていますが、BDは、まだ日本での認知は低いと言わざるをえません。その中でも比較的知られているのは「タンタンの冒険」シリーズや青い妖精「スマーフ」シリーズなどでしょうか。どちらもとても古いですが最近も映画化されるなど人気があります。
 私もこのBDが大好きでして、フランスに行くときには大量に購入してきたり、日本で翻訳が出ているものを読んだりなど楽しんでいます。(ここ何年か、邦訳版の出版も増えてきました!)

 その中でも、私が注目しているのは女性作家ものです。日本には少女漫画というジャンルがあり、有名な女性作家も多いですが、ヨーロッパのBDは少女漫画というジャンルは確立されておらず、どちらかというと子供向け、ティーンズ向け、SF、サスペンス、ドキュメンタリーといった作風によるジャンル分けになっていると思います。
 
 現在は更新がストップされているのですが、BDやアメコミなどの海外コミックを出版しているShoProBooksさんがBDファンに向けて開設しているサイト『BDfile ベデフィル』に2人の女性作家を紹介する記事を書かせていただきました。

Nine ANTICO(ニーヌ・アンティコ) http://books.shopro.co.jp/bdfile/2013/02/nine-antico.html

Anouk RICARD (アヌーク・リカール)http://books.shopro.co.jp/bdfile/2013/12/post-52.html

両人ともまだ、日本では紹介されていませんが、欧米では翻訳版も出ています。日本でも彼女たちの作風を気に入ってくれる方は多いのではないかと思っています。ただ知られていないだけ、翻訳が出ていないだけ、そんな気がします。また、日本の漫画と違い、基本的にオールカラーで本のサイズも大きいので、眺めているだけでも楽しく、アートブックとしての価値も高いと思います。


 BDの翻訳をしてみたい、それが私の夢のひとつです。

2016年6月22日水曜日

Tokyo 私の好きな53のアドレス

 SNSでブログを始めたことをお知らせしたところ、たくさんの方に読んでいただいたようで、ありがたいと思う気持ちと、定期的に更新しなくてはという気持ちが綯交ぜになっている新行内です。

 今日は2015年にフランスの出版社Editions Cambourakisから発売された『Tokyo私の好きな53のアドレス』 (Tokyo Guide subjectif en 53 adresses)をご紹介したいと思います。

 表紙もとても美しいこのガイドブック、私の手元にはないのですが、パリ版と2冊同時に発売されました。パリ版はこちら。http://www.cambourakis.com/spip.php?article582


東京版はフランス語とフランス語のバイリンガル表記になっており(パリ版は英仏)、その日本語訳と、編集のコーディネートを担当させていただきました。
 
 吉祥寺や下北沢など、東京の街を8つのエリアに分け、それぞれのエリアでイザベル自身の足で、目で見つけた53のアドレスを紹介しています。

 黒の線画でお店の外観が描かれており、イザベルのおすすめポイントやショップインフォメーションが2か国語で表記されています。
 
イザベルのひとつひとつのコメントがそのお店への愛にあふれていて、本当に彼女が友人や家族に勧めたいとっておきのアドレスなのだな~と感じます。
 またお店のセレクションがすごい!!実際に行ってみると、独自のカラーのある、でも入りやすくてまた来たくなるようなコージーなお店ばかりなのです。私もこのガイドで知ってからリピートしているお店が何軒もあります。

 日本で出版されているガイドブックの中には、なんとなくカタログのような、広告誌を読んでいるような気分になるものもありますが、まさにその対極にあるガイドブックなのではないかと思います。すごく個人的というのでしょうか・・・。友人に「東京に行くんだったらあのお店が雰囲気よいよ。あとお土産はここがけっこうすてきかも。」みたいなノリで教える、イザベルだけの私的な東京、そんなムードの1冊です。

 実際、掲載されたお店の方にお会いすると、このガイドブック片手に訪れてくるフランス人もいらっしゃるとか。また、このガイドブックを持って東京を巡り、とても楽しかったとのメッセージをいただいたこともあります。
 日本でも販売していましたが、今は売り切れや在庫僅少のところが多いようです。フランス旅行に行ったらこの東京ガイドをお土産にするのもよいかもしれません。

 また、CREA 3月号の東京特集にも、イザベルの選ぶ東京のお店を紹介する記事「東京のすみっこめぐり」が掲載されています。こちらにはうちの次男がちっちゃく登場してたりして。  http://crea.bunshun.jp/articles/-/9694

 近い将来に、イザベルと東京のガイドブックを日本で出版したいと思っています。企画に興味がある方はぜひご連絡くださいませ~。

2016年6月20日月曜日

わたしのおやつレシピ

前回ご紹介したイザベル・ボワノのレシピブック


 写真のように、現在フランスでは4種類のレシピブックが出版されています。
   Mes recettes pour le goûter  わたしのおやつレシピ
   Mes recettes à emporter わたしのおでかけレシピ
   Mes recettes de fêtes わたしのパーティーレシピ
   Les recettes de mes amis japonais わたしの日本の友だちレシピ


 日本ではMes recettes pour le goûterの翻訳版「わたしのおやつレシピ」が小学館より2015年10月に出版されています。



 この本の翻訳と手書き文字を私が担当しています。イザベルのレシピ、すべての調理工程が手描きのデッサンと文字で表現されています。

 ページを繰りながら眺めるだけでも、ゆったりと優しい気持ちになれる一冊。そして紹介するすべてのお菓子が簡単に気軽に作れるものです。さくらんぼのクラフティやりんごとくるみのクランブル、チョコレートムースやあずきゼリーなど、26種類のおやつとそれを可愛くラッピングするアイディアをご紹介。自分用には勿論、プレゼントするにも最適なレシピブックになっています。

 日本版の帯は菊池亜希子さんが推薦文を書いてくださっています。(菊池亜希子さんとはマッシュVol.8で一緒に東京散歩をさせていただいています。こちらもどうぞご覧ください!)

 私とイザベルの夢は、このレシピブック全冊の日本語版を出版すること!それに向けて頑張っていきたいです。